鬱病闘病中のアラサーオタクが綴る。
<< 正体不明の寂しさ発作 main 動き出した18.02.22、23の日記 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

 - -
父親の思い出

うちの父親はなかなか愉快な人でした。

親の足に子どもの足乗せて歩く遊びって全国共通なのかな?あれに自作の歌付けて遊んでくれたことよく覚えてます。

今だに唐突にその曲頭のなかで再生される。というわけで今日もそれが来たので父親について書いてみようと思います。

 

父親は私が9歳の時に無くなったので思い出は少ないのですが、PCゲーのオタクでした。

私は父親のイスに一緒に座って観てました。なんか、横スクのゲームででかい女の人がでてくるやつが怖かった。これ世代によっては多分有名なゲーム。

一番好きなゲームはポピュラスっていう箱庭ゲーム、だったかなタイトルど忘れしちゃった。なんか土地削ったりしてた。

今の私がマイクラが好きなのは(しかもひたすら石掘るの好き)父親の影響なのか、遺伝的なものなのか。

 

あとジャッキーチェンが好きで、家でよく一緒に映画観てました。中国語の主題歌を意味もわからないのにカタカナで耳コピして一緒に歌ってた。今でも歌えます、笑

 

あとはぼのぼのね。前にも書いたけど。通勤中暇だからキオスクで買い集めてたみたいなんだけど、私といがらしみきおを引き合わせてくれたことは本当に感謝しています。

 

父親は東京の会社に務めていたんだけど、都会の生活に疲れたのか海の見えるところに家を買って、毎日新幹線で通勤してました。

だから朝早いし夜遅いし、ってゆうても23時くらいだったけど子どもは寝る時間だったからね。たまたま起きてた日は嬉しかったなぁ。

ある日、私が5時とかに起きてリビングに行ったら朝の光を浴びながら父親が一人で新聞読みながらトースト食べてて、なんか胸がキュンとなったことがありました。

 

父親の仕事はリーマンってことしか知らないんですけど出張が多かった。そのせいだったか記憶があいまいだけどどっか外国の水晶みたいな鉱石持ってて、自慢げに飾ってました。かっこよ!って思ってたの覚えてる。

 

そんなこんなで忙しい人だったので土日はひたすら寝てた記憶か強いなぁ…

今はそれ当然だと思えるけどまぁ当時は寂しかったよね。

 

父親は頭いい人で、志望校は東大だったらしいです。まぁ結局不合格だったんだけど。

小さい頃サンタさんに手紙を書いて枕元に置いておいたら、次の日英語?で返事がきたの。母親は勉強全くできないからあれとーちゃんだな。手紙はどっかやってしまった。超絶後悔してる。まさかそんな早くに亡くなるとは思わなかったからさあー

 

東大に入って何をしたかったかというと、日本文学科に入って小説家になりたかったらしい。うちには文庫が数百冊ありました。母親が処分しちゃったけど。トイレにも本棚置いてる人だった。

 

母親はヒステリー、姑は嫁いびりが趣味で父親は母によく当たられてた。あと私が馬鹿野郎だったから怒られること多かったんだけど、母が「もうなんとかして!」ってヒスると父は「なんとかー!☆(ゝω・)v」って返してた。そ、それはどうなんだ、なんで結婚したんでしょうねこの人達…

でもほんとうに私が悪いことをした時は父親も怒って、家の外に出されたりしてた。まぁ本人は馬鹿野郎なんでなんで怒られてるのかよく分からなかったけどね、あはは。

 

父親はある日出勤途中に突然死しました。当時子どもだったし母親の精神状態もやばかったので今だに死因は聞いてない。

なんかオチが暗くなっちゃった。今は父の死受け入れられてるので安心してください。まぁ、長生きしてほしかったけどねー。一緒に呑みたかった。

 

JUGEMテーマ:家族のこと

11:10 自分語り comments(0)
スポンサーサイト
11:10 - -
comment

message :